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株式会社喜乃紀 代表取締役 川村のり子氏 ~平成24年度情報通信ベンチャービジネスプラン発表会 発表企業~

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<氏名> 川村のり子氏
<社名> 株式会社喜乃紀
<役職> 代表取締役
<設立> 2012年11月
<資本金> 100万円
<URL> http://atasino.jp/

 株式会社喜乃紀は、2011年11月に代表取締役、川村のり子さんが立ち上げた、愛知県豊田市発のベンチャー企業です。昭和18年(1943)から昭和40年(1965)頃にかけて、愛知県豊田市で、加藤唐九郎氏、河村喜太郎氏、岡部(加藤)嶺男氏、河村又次郎氏、杉浦芳樹氏らの陶芸家たちが作陶活動を行っていましたが、その流れを汲んだ、「喜中窯(きちゅうよう)*」は、河村喜太郎さんを祖父に持ち、河村又次郎さんを父に持つ、川村のり子さんのご主人・河村喜平さん(四代目)によって引き継がれています。喜乃紀では、河村喜平さんの陶芸作品の販売をはじめ、地域発の資産を再発見し、クリエイティブな感性に特化した各種プロデュース・企画・制作活動を行っています。

1.初めに

 「ENTRY2012ビジネスプラン発表会inぎふソフトピアジャパン」で、昨年の11月に「おさんぽフォト」のビジネスプランでNICT賞を受賞し、あいちベンチャーハウス(財団法人人工知能研究振興財団)プロジェクト・TEN*事務局の推薦を受けて第15回(平成24年度)NICT情報通信ベンチャービジネスプラン発表会に出場。川村さんは武蔵野美術短期大学芸能デザイン科(現・武蔵野美術大学空間演出デザイン科)卒業後、店舗設計及びディスプレイのデザイナーとして就職。約1年で退社し、展覧会企画、アーティストやクリエイターを起用したコマーシャル・商品開発・各種プランニングとプロデュースを業務とする会社に転職。その後、クリエイターやアーティストのレップとして独立。結婚と同時に東京から愛知に移り、出産・育児休業後、3年ほど前から活動を再開。課題や問題を解決するプロセスにおいてクリエイティブな発想やアプローチを活用する、広い意味での「デザイン」を主な業務として活躍されています。起業家、そして二児の母として、様々なアイデアと行動力で日本ブランドの活性化と、地域貢献へとつなげています。

2.【転職を繰り返した20代前半】

(聞き手)

 

今回のインタビューは愛知県豊田市平戸橋にある喜乃紀さんのオフィスにお邪魔していますが、ご主人の祖父・河村喜太郎さんが豊田市猿投(さなげ)地区の土を求めて京都から移って来られた場所が、ここ平戸橋とお聞きしています。壺や花器、お皿など、数々の陶芸作品に囲まれたお部屋の前には、大きな窯があり、独特の風情と佇まいです。豊田市は、ものづくりのイメージが強いのですが、陶芸の街としても、歴史があるのですね。

(川村氏)

 

はい、平戸橋は「猿投古窯」と呼ばれる古窯群の一部で、ルーツはとても古く、奈良時代よりも前から陶芸の生産地と言われていて、1000機にのぼる当時のハイテク窯があった場所で、人工の釉薬をはじめて使った事でも知られていますが、現在はここで陶芸を作っているのは主人だけです。このあたりは近くに豊田市民芸館もありますが、民芸運動を起こした場所でもありますが、伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けたと言う悲しい歴史があります。私は1998年に結婚後、こちらに嫁いで来て約16年になりますが、東京生まれの東京育ちです。独身時代は渋谷に個人事務所を持って、仕事をしていましたので、こちらに来てその違いに良い意味でショックを受けました。

(聞き手) 東京ではどのようなお仕事をなさっていたのですか?

(川村氏)  大学での専攻がディスプレイや店舗設計でしたので、はじめての仕事は現在のトーマネ(東京マネキン)に就職して、主にアパレル関係のディスプレイと店舗の設計をしていました。その後、何かが違うと感じて1年ほどで辞めました。ちょうどその頃、アパレルのミカレディが、美術展のできるギャラリーを立ち上げるので、キュレーター*を探していると言う情報をデザイナーの友人から聞いたので、すぐに「行きたい!」と手を上げました。展覧会の企画など、私にとっては始めての事ばかりで、当時はまったくの素人でしたが、銀座の画廊などにお願いして、アシスタント的な役割で担当していました。ただ、その仕事もギャラリーの運営自体が続かなかったので、数ヶ月で辞めて、次はイラストレータの作家の知り合いの会社に、転職することになりました。

 当時は、原宿にあったアットギャラリーから、日比野克彦さんなどのアーティストが出てきた時代で、その会社はアーティストやクリエイターを使った広告の仕事を手がける為に立ち上げられた会社でした。

 転職を繰り返し、定まった仕事に就けない事に悩んでいた時、知り合いから「すごく面白い会社があるから、一回会ってみたら?」と、助言された事がきっかけで、作家の社長に会いに行きました。その会社では、その頃、新宿伊勢丹でアーティストを使ったディスプレイの仕事を請けていて、ディスプレイのノウハウとアーティスト企画など私のこれまでの経験が、ちょうど良いと言うことになり、話が急展開して、タイミングよくその会社に入ることになりました。

(聞き手) 新たな出会いから、広告代理店の仕事をはじめることになったのですね。

(川村氏)  はい、結局30才近くまでその会社に勤めることになりました。広告企画の仕事に出会うまでは、自分はどんな仕事をしても続かないのではないか・・・と、落ち込んでいた時期もありましたが、この仕事は天職だと思えるほど、自分に合っていました。

8年近く勤めた後、枝分かれのような形で独立しましたが、会社を辞めた理由は、大勢の作家を扱うのではなく、少人数の限られた作家をプロデュースしたいと考えたからです。勤めていた会社とは独立後も、良い関係で一緒に仕事をしていました。そして独立してから5年ほど経った34歳の頃、結婚を機に仕事を辞めて、愛知県に来ました。

(聞き手) 今思うと、最初の仕事は、広告企画の仕事に出会うまでのプロセスだったのかもしれないですね。

3.【東京渋谷から愛知県豊田市へ】

(川村氏)  豊田市に来てからも、離れていても出来るアーティストのマネジメントの仕事は、しばらく続けていましたが、東京でなければ、広告の仕事は殆ど無いので、徐々に仕事量も減り、出産するタイミングで一端、仕事を完全に辞めました。

(聞き手) アーティストを起用した広告も、バブルの時代から比べると減少傾向と言う状況だったのではないでしょうか。川村さんは、現在はおふたりのお母さんなのですよね?

(川村氏)  はい、中学3年生と小学3年生になる息子が2人います。私が出産した頃は現在のようにネットが使える時代ではなかったので、仕事は辞めていましたが、ご指摘の通りアート広告が減少傾向へと向かう時代だったので、生き方を変えるタイミングとしては、ちょうどよかったのかもしれません(笑)華やかな世界から、豊田市に来たことで、私の生活感や価値観は大きく変わりました。

(聞き手) 結婚して、豊田市に転居した事と出産は川村さんの価値観を変える事につながったのですね。

(川村氏)  こちらに来て、これまでの生活は東京独自の仕事パターンだったんだと実感しました。日本のほとんどは地方都市です。それを知識ではなく体験したことはとても大きなターニングポイントです。こちらに来て、地方とはこういうものなのだと感じる事が出来ました。それと共に、地元の人には当たり前でも、別の場所から来た私にとっては、いいなと思える事がたくさんありました。

 たとえば、お豆腐がおいしいとか自然が豊かであるとか、こんにゃくがおいしいとか。良いところだけでなく、悪いところも自然と見えてきました。そうすると、今までの企画魂に火がついて、「こうすればいいのに!」と、考えるようになり、そんなたくさんの思いが溜まって爆発しそうになっていきました。そして「もうやるしかない!」と、3年ほど前に仕事を再開しました。とは言っても、こちらには仕事ベースの知り合いは一人もいませんので、人脈作りから始めました。

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4.【志を同じくする人達との出会いから社会復帰】

(聞き手) 地元の人達との出会いにはどのようなものがあったのでしょうか?

(川村氏) 「カラクリBOOKS*」を通じた地元の方との出会いがありました。カラクリBOOKSはiPad専用アプリで地域に残る昔ばなしや伝説、伝統的な祭礼など、おらがまちの物語を電子書籍にして、後世に伝え残す取り組みを行っているボランティアグループです。お祭りを継承する人がいなくなることや、地域から人口が流出することは、大きな課題ですが、その課題を解決するには郷土愛を持つ事から始める事だと考えて取り組んでいます。

 例えば仕事の為に別の地域に移動しても、伝統行事のある季節には、自分のふるさとに必ず帰って来てもらえるよう、昔話を通じて、みんなに地域のよさを再認識してもらい、どこにいても地域を守る取り組みに参画してもらえるよう地域の良さを民話で再発見しています。

 その活動に加わり、私は豊田版の民話を作っています。主人も昨年度まで豊田市の教育委員会の中にある豊田市民活動、「豊田文化フォーラム」の会長をしていましたので、その関係の方々など色々な地元の人にも会うことが出来ました。

近所に御船町(みふねちょう)と言う地名があるのですが、その名前の由来を今、まとめている所です。今年の秋には豊田市の民話が「御舟石(おふないし)の伝説」と言うタイトルで完成の予定です。

(聞き手) 核家族化・高齢化・少子化、そして市町村合併で、昔ながらの民話が自然に継承される事は難しくなっています。また、川村さんのご主人の陶芸も、地域としても継承したい伝統のひとつだと思いますので、ご家族にも理解が得られる取り組みだったのではないでしょうか。

(川村氏) はい。今回のビジネスプラン発表会にも、このカラクリBOOKSの活動メンバーのひとりで名古屋のIT企業にお勤めの方が「おさんぽフォト」のARを担当し、手伝いで発表会にも来てくれていました。

(聞き手) この活動が、現在の川村さんの夢の実現を達成するための勢いにもなっていますね。

(川村氏) 更にはこの活動を見て、あいちベンチャーハウスの運営する、プロジェクト・TEN事務局で中心的な役割を担われていた、当時の名古屋大学の横井茂樹教授からお声をかけて頂きました。ICTは専門外だったのですが、会いに行くと、産学官連携で中部地域のスマートデバイスのメッカとなることを目指して立ち上げられたプロジェクト・TENのメンバーにならないかとお誘い頂きました。そのメンバーになった事がきっかけで今回のビジネスプラン発表会にも出場する事になりました。

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5.【“とよたデカスプロジェクト”プロデューサーとして地域に貢献 】

(聞き手) 人脈作りを通して仕事も増えてきたのでしょうか?

(川村氏) 様々な人にお会いするたびに、自分がこれまで貯めて来た事を伝えていきました。そうすると、共感して下さる方からお仕事が頂けるようになりました。最初はデザインの小さな仕事からでしたが、企画がやりたいと、色々な人に会う度に伝えていたら、今年度は豊田市の教育委員会の中にある、文化振興課で新規事業のプロモーションと企画プロデュースを担当させて頂くことになりました。その仕事を請ける為に、実は㈱喜乃紀を起業することになりました。社名の由来は、「喜中窯」から「喜」を、「乃」は私の名前、のり子から、そして「紀」は順序だてて記すと言う意味がありますが、喜びを順序だてて記して行きたいと名づけました。

125x120px 株式会社喜乃紀 ロゴ 

(聞き手) 具体的に豊田市様からはどのような事を期待されているのでしょうか?

(川村氏)  豊田市の文化・芸術・教育などを通して、豊田の自然・人・歴史・産業など良いと思う地域資源を再発見して生かす企画を募集するプロジェクトが始まったばかりですが、そのプロジェクトの運営を任されています。始まったばかりのプロジェクトなのでサポーターや市民のみなさんに参加して頂けるように、広報活動やプロモーション企画も検討中で、今年の夏以降、いくつかイベントを実施する予定です。

(聞き手) 今回のお仕事はどのようなことがきっかけで決まったのでしょうか?

(川村氏)  プロジェクト・TENの関わりから、愛知県と親交があり、東海圏の活性化と言う共通の目標がある岐阜県のソフトピアジャパン*にも行き来するようになりました。来年度にはソフトピアジャバンの中にIAMAS(情報科学芸術大学院大学)が移ってきますが、それに先駆けてソフトピアジャパンの中に、IAMASの先生によるf.Labの出張ゼミが行われていていたので、参加させて頂きました。

 そこでは、「Made inTOYOTAを考えよう!」と言う講座を開いてもらい、女性の目で見たとよたの地域振興を考えたいと思い、女性の参加者を募って、メンバーからも地域活性化に興味のある女性に声がけをしてもらったのですが、その中に豊田市役所の方もいらっしゃいました。コアのメンバーは現在約6人ですが、全員が集まったのはこれまでで2回程度です。

 豊田と言えば、みなさんTOYOTA自動車を思い浮かべると思いますが、実際にはTOYOTA自動車以外のものの方が多いのですが、市外の人だけでなく市内の人でさえ、そうは思っていないので、ここにTOYOTA自動車以外の産業や資産もある事を伝えて共有したいと考えて、豊田の新しい名産品を考える事にしました。勉強会ではアイデアを出して、その後は、近くのメンバーと何度か集まって下調べなどを現在も行っています。

(聞き手) 地域の魅力を再発見したいと言う思いが、引き寄せたご縁とも言えますね。

(川村氏) 豊田市文化振興課から、今回のプロジェクトのプロポーザルに去年、参加させて頂き、プレゼンの結果、今年に入ってから、みんなで“でかそうよ!”と言う意味で名付けられた「とよたデカスプロジェクト」の仕事をさせて頂く事になりました。

6.【ビジネスプラン発表会をきっかけに大きく広がったチャンス】

(聞き手) ここまでお聞きしているお話しは、ビジネスプラン発表会でプレゼンされたお話とは、違うようです。発表会に参加された経緯とおさんぽフォトの取り組みについてお聞かせいただけますか?

(川村氏) プロジェクト・TENの主催で名古屋大学で開催された講演会と懇親会に昨年11月初旬に参加した時、岐阜県庁の知り合いの方から今回のビジネスプラン発表会に出場しないかとお声がけ頂き、出場することになりましたが、ICTでのビジネスプラン発表会だったので、実はそこから「おさんぽフォト」のアイデアを形にしました。

(聞き手) 「ビジネスプラン発表会inぎふソフトピアジャパン」は11月29日に開催でしたので、ほんの2週間程度で、アイデアを形にされたのですね。川村さんの行動力が、試される機会だったのではないでしょうか。

(川村氏) ソフトピアジャパンでは、いつも様々な発表会が行われているので、その延長線のようなものだと思い、二つ返事で出場を引き受けたのですが、今回のビジネスプラン発表会は想像を超える大きなイベントで、メンターさんもいたのでとても驚きました。ただ引き受けたからには、やるしかないと言う気持ちでした。喜乃紀の起業は、岐阜でのビジネスプラン発表会に出る2週間前の11月15日でした。そこから、これまでアナログで取り組んで来た「おさんぽフォト」の課題をこの機会にICTで解決したいと考えたのです。

(聞き手) おさんぽフォトについて教えていただけますか?

(川村氏)  街を歩いて写真を撮って気がついた所を地図にする取り組みです。東日本大震災以前から、街の魅力を見つける為の地図を作りたいと考えて、「カメラを持って、良い所を見つけてフレームに切り取ろう!」とみんなに話していた事が発端でした。そしてその後、東日本大震災が発生しました。震災後は、防災マップ作りは、学校・地域など色んな所で行われていると思いますが、出来た地図をもらっても、見る側は地図をもらうだけですし、作る側は出来た事で終わった気持ちになるものです。

 地図を作る作業はとても大変ですが、その割に生かされていません。また、同じ地域での防災マップ作りは、小学校も中学校も、地域ボランティアも、行政も行っていてそれぞれが作っていますが、すべてがバラバラなのです。

((聞き手) 重複して作成した地図も多いと言うことですね。

(川村氏) はい、そこに大きな疑問を持ちました。そして、それら別々の地図を一元化するには、ICTが必要だと考えていたので、そのアイデアを発表会に出す事にしました。

(聞き手) その地図に選んだのが防災マップ作りだったのですね。

(川村氏)  岐阜の発表会から約4ヶ月後の東京でのビジネスプラン発表会までの間、たくさんのデータを集める為にfacebookで非公開のグループを作り、約100名の知り合いに「地図の情報を載せてください」と呼びかけました。実際に地図情報を載せてくれた人は約20人、更にはfacebookを使っていない近所の人たち含めて、写真、位置(緯度・経度)と気がついた所、カテゴリー別(AED、避難場所など)など防災に役立つ地図情報を集めました。

 地図情報を集めて見ると、位置情報を数値で集める事がとても難しかったので、ここはアプリを作るなど工夫が必要だと感じました。これら集めた情報を実際の地図の上にどのように置いて生かすことが出来るのかを、東京の発表会では提案しました。

(聞き手) 防災マップの一元化は、非常に重要な視点ですが、簡単ではないと思います。更には自治体・行政に使ってもらえるようにするには、更にハードルの高い事ではないでしょうか?

180x240px 中学生が作成した防災マップ 

7.【OpenStreetMapで地元中学による防災地図作製のモデル作り】

(川村氏) 私は、行政の持っている防災に関わるデータを使わせていただくことがおさんぽフォトの成功の鍵だと思っています。そこで、地元の猿投台中学が、防災に関しての意識が高く、息子の通う中学だった事もあって防災会議に参加した際に、当時の校長先生に、防災マップ作りと愛知代表で、3月にビジネスプラン発表会に出る事についてお話をさせて頂き、協力をお願いして帰りました。

 その猿投台中学が2013年度の第2次豊田市教育行政計画(H25~H29)の重点テーマ、「環境・防災の教育と機能強化の推進」の中で、防災モデル校として選ばれたのです。そしてビジネスプラン発表会が終わった直後に、「防災マップ作りを推進して行きたいので、話しをしてもらえないか?」と、ご連絡を頂き、現在は中学2年生を対象に講師として防災マップに関するお話をしています。

 ただ、もっとも大切なことは成果物としてマップが活用されることももちろんですが、マップ作りを通して参加者ひとりひとりが防災意識を持つ、高めることが大事なのではないかと感じています。猿投台中学は、文部科学省の今年度の施策、「実践的防災教育総合支援事業」のモデル校としても選ばれ、この中学での取り組みは、実現したかった行政との連携構想にも着実に近づいていることをとても嬉しく思います。

 猿投台中学で最初にお話させて頂いた当時の校長先生は定年を迎えて、現在では、近所の私立高校の広報部長をなさっているので、この高校でも一緒に推進できるようお話をしています。

 おさんぽフォトは、製品をつくるのではなくて、みんなが主体となって意識をつくっていくことが一番の目的だと考えています。ただ、地図はとてもコストが高く、利用に制限があって困っていました。そんな中、名古屋工業大学グリーンコンピューティング研究所プロジェクト教授でOpenStreetMap Foundation Japanの理事でもある早川知道先生と出会い、この取り組みにご協力頂ける事になり、OpenStreetMap*を、使ったシステムをつくって頂く事になりました。

 OpenStreetMapは、いわゆる白地図のようなものですが、おさんぽフォトは、自分たちの町の地図を自分たちでつくり、その地図に防災に役立つ情報を付加します。万が一の際は、被災地以外の方々がこの地図を利用し、救援にも活用していただけるよう日頃から心と地図の準備をしようというものです。この取り組みも、いずれは学生や地域住民自らが行う仕組みにできればと考えています。

(聞き手) みんなで役立つオープンな地図を作る発想、そして地図の一元化は、まさにOpenStreetMapの構想とぴったりですね。喜乃紀のビジネスの柱のひとつになりそうです。

(川村氏) OpenStreetMapを使ったおさんぽフォトは、オープンデータやオープンガバメントにも通じるコンセプトだと思います。具体的には事業と市民参加型安全安心活動の2方向で進めていますが、ここまで進んだのはビジネスプラン発表会に出場すると言う目標があったからでした。

 今後の「おさんぽフォト」の目標は、オフラインとオンラインの双方を子供から両親、先生、地域住民が誰でも活用し合えるシステムをつくっていくことだと思っています。そしてこの取り組みは豊田市だけではなく、全国に広げて行きたいです。

8.【取材後記】

 ジオタグ*がついていれば、写真を撮るだけで、緯度や経度の情報も集められるので、防災マップ作りは今、加速しているようです。OpenStreetMapの防災版が、生まれつつありますが、地域の魅力を伝える地図も同様に登場する日は、そう遠くはないでしょう。これもひとえにICTの恩恵を受けて始めて実現できる事と言えるのかもしれません。自分の住む街に関心を持てるよう意識付けする為には、行政の人達にこそ、これらの取り組みを知ってもらいたいと語る川村さん。

 いつ起きるかわからない巨大地震に私達は備えなければなりません。そのためにも、行政の持っている防災に関わるデータと、市民主体の防災活動の成果をマッシュアップすることで、私達の防災意識や、備えの形も一段と進むのではないかと思います。

 仕事をしていない時にも、やりたいことがマグマのように溜まって爆発しそうになっていたとお話されていましたが、彼女の持つ行動力と、柔軟性、人をつなぎ、アイデアをまとめあげる力は、行政と市民を結び、防災意識が向上することに寄与していくのではないかと期待します。万が一を想定した防災マップ情報の一元化と、その応用は私達の未来への道筋を指し示していると言えるかもしれません。

【参考資料】
*あいちベンチャーハウス プロジェクト・TEN
 http://project-ten.jp/about.html

*喜中窯・・・窯の名前 
 http://www.ki-he-i.com/index.html

*キュレーション・・・博物館や図書館などの管理者や館長を意味する「Curator(キュレーター)」からきている。キュレーターが館内の展示物を整理して見やすくする。

*カラクリBOOKS 
 http://karakuri-books.com/

*ソフトピアジャパンプロジェクト・・・ソフトピアジャパンプロジェクトとは、高度情報化社会の到来を予測し、情報産業を育成、振興、集積する中核拠点「ソフトピアジャパン」、高度IT人材育成の拠点「IAMAS(イアマス:情報科学芸術大学院大学)」の2つの拠点を活用して、産業、教育、福祉等あらゆる分野が情報化された「暮らしよい岐阜県」の実現を目指した岐阜県の地域情報化推進政策です。

*OpenStreetMap・・・道路地図などの地理情報データを誰でも利用できるよう、フリーの地理情報データを作成することを目的としたプロジェクト 
 http://osm.jp/

*ジオタグ・・・主に写真データに付加される追加情報(タグ)で、緯度と経度の数値を含めたもの。これによって、写真が撮影された場所を特定して地図サービスの画面上に並べ、「場所」を基準に整理・公開することなどが可能となる。

◆平成24年度情報通信ベンチャービジネスプラン発表会のリンク先 
 http://www.venture.nict.go.jp/event/bp2012/report

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